リコー製品のここが知りたい
「製版機と印刷機を一緒にしよう」

「製版機と印刷機を一体にするという発想そのものが新しかったのです」
(佐藤光雄)
「ガリ版の後、1970年代は手回しや電動の輪転謄写印刷機が主流でした」と言うのは、印刷機の設計担当、佐藤光雄だ。その頃は、製版と印刷は別々の装置で行っていた。リコーもまた、放電式謄写製版機「ハイファクスシリーズ」と、輪転謄写印刷機「ハイプリンターシリーズ」を生み出していた。「それを一体化しようというのが私たちの目標でした」と佐藤は言う。そして1984年にプロジェクトチームを立ち上げ、まずお客様の声を聞くところから始めた。印刷機を使っていただいている現状を改めて学ぶために、各地のお客様を訪ねた。メンバーは7人。「印刷機を何とかしなければ」と固く決意しあった「七人の侍」だった。
「7人で手分けして学校や幼稚園、不動産会社や団体、組合、病院など70軒近く訪ねました。その結果、お客様が望んでいる印刷機とは『手の汚れない、仕上がりが美しい、丈夫で使い方が簡単なもの』だとわかりました」と佐藤は言う。八嶋もまた「学校の事務の方が、手をインキで真っ黒にして印刷されているのを見て『手を汚さず製版から印刷までできる機械をつくりたい』と思いました」と言う。当時は「印刷は手が汚れるもの。製版と印刷は別に行うもの」が半ば「常識」となっていた。

プリポートSS880の開発に取り組んだ「7人の侍」
(「サテリオ」を囲んで)
開発スタッフの中からも「一体化は無理じゃないか」という意見が出た。「いや、前例のないことに挑戦するのが『開発』だ。常識をくつがえそう!」――7人は決意を再確認した。「応用できる技術がないだろうか」と、スタッフは特許技術もくまなくチェックした。その中に「点状発熱体により孔版をつくる方法」があった。「これだ!」――その特許がヒントとなり「デジタル製版と一体化」への道が開けた。
「ところが1984年、製版と印刷が一体となった印刷機の発売で他社メーカーに先を越されてしまったのです」と八嶋。「それは衝撃的でした」佐藤も言う。「しかし、製版の方法がわれわれが追求していた技術とは異なったので、引き続きより高精細な製版ができる技術開発を進めていきました」。八嶋は「それはリコーグループが持つ技術の裏付けがあったからです」と言う。「リコーは当時、FAX機で世を席巻していました。感熱紙に熱の力で文字や画像を描いていくFAXの技術を応用できると思ったのです」。
生かされたリコーグループのデジタル技術

リコーのFAX機は、1970年代の発売当初から原稿の読み取り、データ処理、電送、記録のすべてをデジタル処理する画期的なものだった。セットした原稿をスキャニングしてデジタル信号に変える技術、届いたデジタル信号を「黒」と「白」に分けて感熱紙に記録する方法は、印刷機にセットした原稿を読み取って版をつくるしくみと同じだったのだ。「リコーはその後、デジタル方式の複写機を生み出すのですが、実は簡易孔版印刷機の方が早くデジタル方式を採用したのですよ」と八嶋は言う。「リコーグループが、画像を読み取る技術、デジタル画像を処理する技術、サーマルヘッドの熱の力で感熱紙に記録する技術などを持っていたから、世界で初めてのデジタル製版式孔版印刷機を生み出すことができたのです」。
「デジタル製版式孔版印刷機には、それまでのアナログ方式にはない大きな特長があります。デジタル信号になっているので原稿の拡大・縮小が簡単で、各種の画像処理も可能なのです」と佐藤は言う。「リコーの印刷機には初代機から『拡大・縮小機能と写真モード機能』がついていましたし、『メイキャップ機能』という編集機能も搭載していました」。デジタル製版方式の持つ機能や使いやすさが評価され、「プリポートSSシリーズ」は、開発スタッフの予想をはるかに超える台数が売れた。