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メディア学の権威、東京大学名誉教授が斬る。「紙」×「電子データ」は共存できるか 第4章:まとめ 尾鍋史彦

  • 第1章:はじめに(総論)
  • 第2章:紙メディアとはなにか
  • 第3章:電子データとはなにか
  • 第4章:まとめ

第4章:まとめ

メディアとしての紙と電子データを比較すると、同じ情報を紙面で読むか、画面で読むかという違いで、可視性(visibility)の差異である。タブレット型の携帯端末で電子書籍や電子新聞を読む形態が広がりつつあるが両者とも当初期待されたほどには市場が拡がっていない事実は、人間の紙というメディアがもつ親和性への拘りを改めて意識させる。これはとりあえず読めるかどうかという視覚器官に関わる可視性には紙メディアと電子的表示装置にそれほど違いはなくても、その後の脳内での情報処理に関わる可読性(readability)に違いがあり、情報の理解や記憶という点で紙メディアに認知科学的優位性があるということが出来る。
 このように考えると、今後も情報処理装置からの情報を紙に出力して読む機会が益々増大することになると思われるが、紙を大量に消費するという行為をどのように捉えるべきなのだろうか。

紙は環境調和性および資源調和性の高い
材料によるメディアといえる。

1. 紙メディアの資源・環境優位性

紙は地球上の有限な資源・環境・エネルギーの制約条件の枠内で製造される。紙の資源である木材は森林資源を伐採して得るが、森林は地球上で適度な気温と水分と土壌があれば炭酸同化作用を行いながら生育し、土壌が極度に劣化しない限り植林をなんどでも繰り返すことが可能で、同じ土地で木材の再生産が可能と言える。地球温暖化問題に関して考えると、伐採した分だけ新たに植林し、森林に炭酸ガスの吸収能力を付与することで、温暖化ガスとしての炭酸ガスの放出の問題はクリアできるといえる。さらに一度使った紙は古紙として製紙産業により再び利用される。すなわち木材は再生産が可能で、紙は再使用(リサイクル)が可能であり、石油・石炭のような化石資源と異なり、資源として持続可能であり、トータルに見ても環境への負荷は低いといえるのではないだろうか。すなわち紙は環境調和性および資源調和性の高い材料によるメディアといえる。

「知」と「環境」のいずれかの選択は
ジレンマではあるが個人々の叡智に
期待するしかないだろう。

2. 人間の「知」と環境の二者択一はジレンマか

紙メディアの資源および環境から見た優位性が理屈として理解できても、感覚的には情報機器による紙の大量消費がごみ問題の発生を含め環境への負荷を与えてしまうと考えてしまう人が多いのが現状だ。それでは経済や環境への負荷という問題を人間の「知」と対立させて考えるとどのようになるだろうか。もし環境負荷の減少を過大に考える余り人間の「知」の構築に関わる重要な情報やビジネスに関わる情報を紙メディアに出力せず、電子データの表示装置による視認のみで済まそうとすると、「知」の構築やビジネスにおける意思決定が的確には行われない危惧が生まれる。従って個人の事情や場面に応じて情報の重要度を考え、必要な場合は紙メディアへの出力を行い、読んで理解する必要がある。しかし不要なコピーをとったり、際限なく紙を使わないようにするという最低限の心掛けは必要だろう。「知」と「環境」のいずれかの選択はジレンマではあるが、個人々の叡智に期待するしかないだろう。

「紙」と「電子データ」は対立する概念ではなく
両者の融合や循環の中から新たな用途を生み出し
21世紀の高度情報化社会は進んでゆくと考えられる。

3. 「紙」と「電子データ」は
    対立するのか、共存するのか

情報機器は電子データの変換や加工、保存の機能を駆使した形で今後も進化を続けるだろう。また電子データの表示装置も紙の感情価に近づくべく技術的進化を続けるだろう。さらに紙もより人間との親和性を高めるべく五感への訴求力を高めた感性機能紙のような感情価を増す紙の開発の方向に進化して行くと思われる。マクルーハンのメディア理論に“メディアはメッセージ(The medium is the message)”という金言があるが、メッセージとは情報のコンテンツと共にメディアの特性に依存して情報の受け手に伝えられる感覚的なもので、紙においても電子データの表示装置においてもメッセージの重要性が高まるといえる。

歴史的には紙の歴史は2000年以上で、電子データによる表示装置は50年余りであり、一見紙が旧メディアであり、電子データがニューメディアと捉えられがちである。しかし紙の認知科学的優位性が電子データの表示装置の認知科学的特性を遥かに凌駕している事実を考えると、電子データによる情報機器が進展しても決してメディアとしての紙の消費が減少に向かうのではなく、紙メディアの進化と併せて紙メディアの消費は増大し続けると思われる。

すなわち「紙」と「電子データ」は対立する概念ではなく、両者の融合や循環の中から新たな用途を生み出し、21世紀の高度情報化社会は進んでゆくというのが筆者の予測である。

尾鍋史彦 Onabe Fumihiko

東京大学名誉教授(製紙科学)/
前日本印刷学会会長

1967年東京大学農学部林産学科卒業後、大学院を経てMcGill大学留学。92年東京大学教授、2003年退官。専門は紙科学および応用分野である塗工、印刷、画像、包装および周辺の認知科学、紙文化、メディア理論など。紙の科学と文化、芸術を融合し、紙の問題を包括的に扱う文理融合型学問としての〈紙の文化学〉を提唱。

掲載日:2013年10月

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