自ら考えて動く、機動力を活かした攻めの営業スタイルが、
点睛堂印刷の強みになってきた。
取締役
桶野 雄輔 氏
1953年、桶野雄輔氏の祖父桶野水雄氏は、点睛堂印刷の前身となる桶野印刷所を立ち上げる。戦後の復興景気の中、当時の設備である単色手差機は毎日夜遅くまで稼動を続け、浅草の街に印刷機の回る音を響かせていたという。その後、印刷物需要の高まりに合わせ、設備は単色機3台から、2色機と単色機各1台の体制へ。営業をしなくても仕事が増える時代で、生産力アップが求められていた。
1976年、現社長の桶野幹雄氏が大阪の印刷会社を経て入社。点睛堂印刷株式会社として新たなスタートをきる。会得した営業力を活かし、新規顧客を次々に獲得。当時からの得意先も多く、現在もビジネスのパートナーとして関係を続けている。
桶野幹雄社長は仲間のグラフィクデザイナーと共に受注を増やし、事業は隆盛を極める。しかしバブル崩壊後、得意先の業績悪化や価格競争によって受注に陰りが出てくる。時代の変化を感じつつ、桶野社長は新しい世代への期待を込め、桶野雄輔氏を社員として迎えようと考える。
「大学卒業後、液晶フィルムメーカーへ入社しました。家業とはまったく異なる領域を経験した方が、いずれ自分の役に立つだろうと考えたからです。紙が減りデジタルが増えていく現実を、液晶フィルムを扱った5年間に痛感しました」早くから事業承継を志していた雄輔氏は、2010年に点睛堂印刷へ入社する。
雄輔氏の入社後、ビジネス拡大を前提として、点睛堂印刷は新設備導入を計画する。
「POD(Print On Demand)も選択肢のひとつでしたが、当時のPOD機は印刷品質の面で納得できるものではありませんでした。新設備にはオフセット4色印刷機を選ぶ方向で、かなり前向きになっていたのですが」東日本大震災の影響を受け、受注が激減。4色機導入は白紙撤回される。
「印刷物が減るのは時代の流れです。自社の商品力を向上させなければ、生き残れない。PODに注目していた私は、2012年の展示会でRICOH Proの進化を目の当たりにし、導入を社長に提案しました」雄輔氏はPODメーカー各社に、同じデータ、同じ用紙での印刷サンプルを依頼する。
「各社のウェブサイトから、同じタイミングで一斉に送信しました。反応が最も速かったのがリコーです。従来のPODと異なり、文字がテカらないことも好印象でした。各社の品質とサービスレベルを総合的に比較して社長に相談し、RICOH Proに決定しました」
点睛堂印刷にはオフセット印刷機のオペレーターがいるが、RICOH Proの操作には関わっていない。
「熟練の社員ですが、仕事量を増やすことは難しく、最新のデジタル機器も不得手なので、RICOH Proの操作は私が担当することに。POD営業も私の役目ですから、結局PODに関わるすべてを私ひとりで担っています。現在、名刺などの定型的な案件では、社長や他の営業もそれぞれ印刷できるようになりました」
POD専任となった雄輔氏だが、印刷知識やカラーに関して深い造詣があるわけではないという。「RICOH Proは『いろいろできる大きなプリンター』という感覚で使いはじめました。まず営業として、当社にできるPODがどんな物かを知らせるために、何をすべきか考えました。そこで思いついたのが、印刷見本名刺です。私の名刺の裏にスミベタ、グラデーション、小さな文字などを印刷し、RICOH Proの印刷品質がわかるようにしました」雄輔氏は、自社の近くの制作会社などを中心に飛び込み営業を仕掛け、印刷見本名刺でPOD紹介のきっかけをつかんでいると語る。
既存の得意先に対しても、バリアブルDMによるPOD導入案内や、32種類の用紙を名刺サイズにして持ち運びや保管を容易にしたPOD用紙見本など、さまざまな営業アイデアで勝負している。
新規獲得の営業が実を結び、徐々にPODの需要が増えていく。あるデザイン事務所は、ネット印刷に依頼したものの思った色が出ず、要求を満たしてくれる印刷会社を探していたという。デザイナーはオフセット印刷を想定していたが、そこにPODを提案した。
「サンプル印刷で色を納得していただき、あとはトライ&エラーの繰り返し。RICOH Proで印刷してプロッターでカット。各色100枚ずつ6種類のウェディングカードを制作しました。この得意先からは、その後もブックカバーなど小ロット案件を発注いただいています」
点睛堂印刷はこだわったデザインの印刷に対応してくれると、得意先から紹介された新規のお客様もあるという。
「新店舗開店のための販促ツールとして、8種類の別製封筒と、3種類のカードを受注しました。カラーは単色の青と赤ですがベタ部分が多く、PODでは苦手とされるデザインです。オペレーターとして苦労しましたが、RICOH Proの設定を工夫してデザイナーにも満足いただきました」点睛堂印刷でなければ実現していなかったと、大きな信頼を得ることができた。
「大手紳士服販売のチェーン店では、これまで20~30の店舗ごとにDMを制作していました。店舗によっては200~300枚の場合もありますが、従来はすべてオフセット印刷に頼っていました。RICOH Pro導入後、小ロットのDMについてPODを提案したところ、色味などの印刷品質がオフセット印刷と同等と評価をいただき、切り替えに成功しました。印刷後の乾きを待つ必要がないため、データ受領から半日で納品でき、得意先からは感謝の言葉をいただいています」オフセット印刷に短期集中していたこの案件では、PODへの切り替えが印刷オペレーターの負担軽減にもつながっている。
「地元浅草の居酒屋からは、海外からのお客様も多く店の紹介と浅草の想い出になるような物はないかと相談を受け、料理や観光地の絵柄が入った名刺を提案しました。1セット10枚入りでケースもオリジナル。200セットを納品しました。非常に好評で、日本のお客様からも欲しいとお願いされ、困っているようです」
浅草で生まれ育った雄輔氏は、さらにPODを地元の活性化に役立てられないかと考えている。
桶野幹雄社長は、オフセット印刷が専門だが、小ロット案件ではPODを採用するようになったという。地元の矢先稲荷神社のポストカード制作で、1セット5枚を300セット。収蔵絵画を印刷する難しい案件で、色の忠実な再現性が認められた。神社の新たな収益源にもなり、非常に喜ばれている。
「営業からオペレーションまで、PODのすべてをひとりでやっていけるのか。不安の中からのスタートでしたが、今は強みになっています。オフセット案件につながっていくことも、身をもって感じています。導入後に新規顧客開拓を狙って立ち上げたWebショップは、思うように軌道に乗りませんでしたが、再注文のサイトとしてリニューアルさせました。細かな印刷案件は、非常に有望です。ここを面倒がらずに取り組むことが『仕事は、人と人』という点睛堂印刷の教えの実践にもなります。それに、PODが細かな案件に向いていることは、私がいちばん分かっています」雄輔氏は、案件の大小に関わらず自分の企画を積極的に提案しつつ、その企画がどのような効果をもたらすのか、SNSなどを活用した効果測定にも取り組んでいきたいと語る。
オペレーターとして、
RICOH Proと真摯に向き合う
「私自身が、各社からの印刷サンプルを比較検討して決めたので、RICOH Proには思い入れがあります。オペレーションもすべて自分で責任を持つということは、マシンのことをすべて知らねばなりません。元々機械は好きな方なので、メンテナンスサービス時にはさまざまな質問をし、教えてもらいました。RICOH Proで何がどこまでできるのか。これを把握しなければ、デザイナーのこだわりに応えられませんから」雄輔氏は、自らの経験でオペレーターとしての技術を身につけていったと語る。
用紙データベースの設定をさらにカスタマイズ
微妙な色合い、グラデーション、広範囲のベタなど、PODには難しいとされるカラーの再現に、雄輔氏は積極的にチャレンジしている。
「用紙データベースの設定値をさらに微調整することもあります。機械内の温度や用紙の搬送スピードなど、さまざまな状態でトライし、RICOH Proの可能性を全部引き出したいのです。PODでここまでできるのかと、皆を驚かせたいですね」さらに経験を重ね、提供価値を高めていきたいと語る。
オペレーターコールライトは
生産現場に欠かせない
RICOH Proの隣にはオフセット印刷機があり、印刷機が回っている間はRICOH Proの稼動状態が音では確認できない。
「RICOH Proから離れた場所で断裁機などの後加工機を使っていることも多く、光と色で確認できるオペレーターコールライトは非常に便利です。紙詰まりした場合でも素早く対応でき、助かります」
点睛堂印刷株式会社
■本社 111-0031 東京都台東区千束2丁目9番2号
■資本金 1,000万円
■創業 1953年(昭和28年)
■従業員数 10名
■設備 RICOH Pro C751EX
■主なお得意先
飲食・服飾・医療関係、政治団体、役所など
■主な印刷物
パンフレット、会社案内、ポスター、カタログ、DM、チラシ、POP、カレンダー、カード、PR誌、社内報、会報、年賀状、封筒、ポストカード、名刺、ラベル、シールなど
■主な事業
印刷事業、印刷インターネットサービス事業、企画・クリエイティブ事業、デジタル事業
■ホームページ
www.tensei-do.com
本ページに掲載されている情報は、2014年8月現在のものです。