バブル期以来の複数採用を進め、他都県へも事業展開 顧客情報保護のためセキュリティ強化も インテリアゴトウ(群馬県)
2025年09月17日 06:00
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群馬県前橋市で壁や天井、床の仕上げ、窓周りや装飾などの内装工事業を手掛ける株式会社インテリアゴトウ。近年はこじんまりとした家族経営が続いてきたが、バブル期以来となる正社員の内装施工スタッフを複数名採用し、群馬県内だけでなく、埼玉県や東京都などでの事業拡大をも見据えている。(TOP写真:壁紙や窓周りの工事など内装工事を手掛けるインテリアゴトウの従業員)
群馬県庁の内装工事のために進出して以来、100年近い歴史を誇る株式会社化後、2代目社長である父が急逝
社史などについて詳しく語る後藤寛之代表取締役社長
現代表取締役社長の後藤寛之さんの祖父にあたる後藤徳蔵さんが、1924年に東京都京橋区(当時)で創立されたふすま屋・経師屋である「上村商店」に勤めていた。1928年に建設され、現在はドラマや映画の撮影にもよく使われる群馬県庁の「昭和庁舎」の内装工事に際し、壁紙を貼れる内装工事業者を探していた群馬県に声を掛けられ、前橋市に営業拠点を構えたのがはじまりだ。1932年に上村商店の創業者が逝去したのを機に、徳蔵さんが事業を承継。1959年に「後藤商店」へ改称し、1973年には株式会社化して現在の組織となり、後藤さんの父、昭蔵さんが社長に就任した。
群馬県進出当時は得意にしていた公共工事は次第に減少し、企業や一般家庭の内装工事を手掛けることが多くなっていた。昭蔵さんが社長に就く直前には、インテリア小物やカーテン、カーペット、ラグなどを販売するインテリアショップも開店したほどだった。
「ところが私が10歳だった1980年に父が42歳で急逝してしまったのです。会社は母の康子が社長に就任して継いだのですが、まだ私には会社の経営状態がどのようになっているかなどはわからない年頃でした」 昭蔵さんの急逝後、営業を担当していた従業員が独立したこともあり、康子さんは事業規模を縮小しつつも、積水ハウスをはじめとする残った取引先との仕事を引き受けることで事業を継続。1989年春、高校を卒業した後藤さんが入社し、前橋市立工業短期大学(現・前橋工科大学)の夜学に通いながら、会社の事業について学んでいった。
1993年に社長就任 バブル経済崩壊による発注単価の削減などであわや倒産の危機も
インテリアゴトウの外観
短大卒業後、2年が経過した1993年、後藤さんが社長を引き継いだ。入社時にはバブル景気を背景に好調だった事業が、入社後からバブル崩壊の波がじわじわと押し寄せてきた。当時の状況について後藤社長は「私が社長を継いだ頃が、その影響のピークでした。発注単価も3分の1削減され、同じ工事でもらえる金額が最終的に半分になるなどしていました。今思えば、環境的にすべてがどうやって値段を下げていくかという感じになっていたので、『これはつぶれちゃうかな』と思わされることもしばしばありましたね」と振り返る。当時は営業担当2人、内装施工スタッフ3~4人の従業員を抱えていたが、その給与もカットせざるを得ない状況に陥ったという。
先行きが見通せない状況ではあったが、「そこは曲がりなりにも、欠かすべからざる衣食住の一部に携わる仕事なので、その意味では強い業種なのかなとは感じました。絶対にゼロにはならないので。ですので、事業の多角化は視野に入れず、目の前の仕事を必死にこなしながら毎月を生き延びた感じだったでしょうか。そうした時期が10年強続きました」(後藤社長)
東日本大震災で止まった物流を自ら確保し事業を継続 コロナ禍の苦境をテレワーク推進によるライフスタイル変化で乗り切り需要を拡大
オフィス内で作業に当たる後藤寛之社長
バブル崩壊後の苦境を経験したからこそ、2008年のリーマン・ショックの際は「バブル崩壊後のような苦しさはなかった。まだ日本経済は回っていた」と振り返る。
2011年の東日本大震災後には、全国的に物流が止まったことで内装工事などに使用する資材が入荷しないことがあった。それでも「建築業界はいろんな業者が携わっており、業界内で必要な資材の所在情報が伝わってきたため、『〇〇の倉庫にある』との情報があれば、自ら取りに行き、担当する工事は何とか工期に間に合わせていました。工事を完了しないと、請求書が出せないので、とにかく工事を終わらせて次の工事に向かう、という形で事業を回していました」(後藤社長)
2020年からの新型コロナウイルス禍において、日本経済は外食産業などを中心に疲弊したが、この時はむしろ、コロナ禍によるライフスタイルの変化を逆手にとって、需要が拡大したという。「例えば、外出先から帰ってすぐにウイルスを除去するため、玄関先に手洗い場を作ったり、テレワーク用の仕事場にするために、部屋の一角を間仕切りしたり、といった工事がありました。東京のオフィスを借りていた企業が、リモートでのやり取りが可能になったことで家賃単価などの安いところに移ってきたこともありました」(後藤社長)。そうした需要を着実に捉えることで、事業の成長につなげてきた。
群馬県内のみならず埼玉・東京での受注を拡大し経営安定を目指す バブル期以来の体制づくりに向け従業員増員
内装工事に必要なクロスなどを倉庫に片付ける後藤寛之社長
ライフスタイルの変化に伴う内装工事の需要は、コロナ禍が明けた今もなお続いている。テレワークのままの勤務形態の人も一定程度おり、間仕切りだけでなく、仕事場所がさらに快適になるようなブラインドやカーテンの取り付けなども、引き続き旺盛だそう。
その一方で、近年は人口減による住宅の着工戸数減なども相まって、全体的な内装工事の量は減少しているという。そのことを前提に今考えているのは、埼玉県や東京都での工事の受注増だ。後藤社長は「すでに取引先から声がかかって、埼玉県上尾市や都内などでも工事を請け負っていますが、それをもっと増やせれば、仕事量も安定し、経営も安定しますから」ともくろむ。
それに必要なのは内装施工を担当する従業員の増加だ。「もともと、うちのような内装工事業では、3~5年間、従業員として経験を積んだ後で、独立していく人がほとんどです。5年前に半年ほどで辞めた施工担当従業員の例を除けば、ほぼ10年ぶりに新規人材を獲得しました。今は働き方も変わってきているので、1人だけ雇えばいいという時代ではない。できれば3人程度は従業員を採用したいと考えています」と後藤社長。施工担当の従業員が3人になれば、バブル期以来、三十数年ぶりのことになるという。
新規人材獲得に向けホームページをリニューアル 次のステージへ顧客情報流出防止策を強化
パソコンを使ってホームページや新規工事の図面を確認する後藤寛之社長
新規人材の獲得に向け、会社のホームページもリニューアルを施した。採用情報のページを充実させ、「内装仕上げ施工技能士」などの各種資格の取得にまつわる受講費用や受験費用などを会社が一部または全額を負担すると明記。次代の施工担当従業員を実務と並行しながら育てる方針だ。
その一方で、「企業の顧客情報流出などのニュースがよくありますが、これを対岸の火事として見ているわけにはいかない。他山の石とし、さらにその先を考えると、従業員が扱う会社貸与のスマートフォンなどについても、きっちりと顧客情報の流出防止につながる対策を施さなくてはなりません」と後藤社長。大手の積水ハウスとの取引もあることから、不正アクセスや外部からの脅威からネットワークを保護するセキュリティーシステムである「ファイアウォール」を導入。さらにネットワークの入り口だけでなく、出口側にもさらなる対策を導入することも検討している。
従業員が増えることにより高まるリスクをケアしつつ、「人を増やし、さらに動ける体制を作っていくことで、事業を発展させていきたい」と後藤社長の鼻息は荒い。
企業概要
会社名
株式会社インテリアゴトウ
住所
群馬県前橋市西片貝町3丁目31
電話
027-224-6372
創業
1924年(株式会社化は1973年)
従業員数
4人
事業内容
壁・天井仕上工事、床仕上工事、窓まわり工事、特殊施工・内装装飾・営繕工事
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